放浪記と桜島
◆小説家 林芙美子さん
≪私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない・・・・・。≫
こんな自虐的書き出しで始まる林芙美子の自伝的小説『放浪記』。それは,夏目漱石の「吾輩は猫である。名前はまだ無(な)い。」を思い起こさせる。この本の出版された昭和5(1930)年は,米国発の大恐慌のまっただなかにあった。なにやら今の世相と似る時代背景のもとで,『放浪記』は続編と合わせて約60万部という驚異的なベストセラーとなった。
▼林芙美子(本名:林フミ子)》 1903(明治38)年~1951(昭和26)年----------
林芙美子は昭和期における女流作家の先駆者である。処女作「放浪記」・1930(昭和5)年は,貧しさと逆境の中からの希望,そして文学へのあこがれの見事な表現,全編にみなぎる明るさと楽天性が、昭和初期の不況の暗い時代にあって,一筋の光として,多くの共感をよんだ。その後も,「風琴と魚の町」「清貧の書」、「稲妻」等を発表、戦後も「うず潮」,「晩菊」,「浮雲」,「茶色の眼」といった作品を次々と送り出した。
▼林芙美子と鹿児島
林芙美子の母親は桜島・古里温泉(ふるさとおんせん)の出身である。芙美子も11歳から2年程,鹿児島の親類宅に預けられ,学校に通った。この母の出身地である古里町に,銅像2体と「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」と刻んだ文学碑が建てられている。
◆女優 森光子さん
本名:村上 美津(むらかみ みつ)、1920年5月9日 - )は,女優、歌手である。京都府京都市出身。
京都府立第一高等女学校(現京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。国民栄誉賞受賞。
栄典は三等・瑞宝章・紫綬褒章・文化勲章。文化功労者・東京都名誉都民。
俳優の嵐寛寿郎の従妹である。芸名は寛寿郎の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」となった。
「放浪記」は,作家 林芙美子の波乱に満ちた半生を描いた菊田一夫作の舞台。森さんは昭和36年の初演以来,ヒロイン・林芙美子を演じ続けてきた。
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